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見たまま、感じたまま、思ったまま

(1)行方不知

行方不知

作詞 作曲 歌 豊田勇造


furikaeru
振り返るには早すぎる(HUMM05-07)

勇造さんの好きな歌はいっぱいありすぎて、「この歌が好きだ」のコーナーに入れるわけにいかないので、別にコーナーを作ってみました。

第1回は、彼のレコーディングされた歌のなかで、もっとも古い歌で、かつ彼の原点であろう「行方不知」をとりあげました。彼自身、ライブでも、とくに節目となる局面では、必ずこの歌を唄っています。昨年の夏に、地元京都のライブハウス拾得で、行われた3日連続の、活動30周年記念ライブの最後のトリをつとめたのも、ソロで唄ったこの曲でした。それだけの思い入れがあるのでしょう。彼自身、ライブでの曲紹介の時に「この歌を作っていなかったら、たぶんこうやって今も唄ってへん、そんな歌です」と紹介してます。

彼の歌は個人的な体験を唄った歌が多い。それはもちろん予備知識がなくても、その状況を知らなくても聴く人の胸に迫ってくる。それは彼の歌に嘘が無く、彼自身が生きて行く上で、感じたことを素直に唄うことによって、歌い手が自分と同じ地平で生きていることを実感するからだと思う。

しかし、その状況を知った方がより深みを増すことは確かであろうから、自分の知る範囲でその状況を記してみます。

この歌が作られたのは1969年、時は安保反対に発した大学の学生運動が下火となっていた時期である。(念の為、僕はこのとき9歳なので、あくまでこれは伝聞です)

それまで髪を伸ばし、授業を放棄し、大学解体を叫んで権威に立ち向かっていた青年達は、いつのまにか髪を切り、何事も無かったように授業に戻り、卒業して就職していく。
べ平連(ベトナムに平和を・・連合?)などを通じて学生運動に関わっていた勇造さんは、そういう選択をとれなかった。
一度解体しようとした大学にまた戻る矛盾。悩んだ末に彼が取った選択は、大学を捨て、歌を唄って生きていく道であった。

作られた当初、この歌の最後の歌詞は、「世のあらゆるものと共に この命全うしたい」だったそうだ。それが、数年の後に「全うしたいけれど・・」と変化していったらしい。この「けれど」中に込められた苦い思い、そしてそれを抱きながらも今の道を行くしかないという彼の決意がそこに込められているのだ。

30周年記念ライブ「振り返るには早すぎる」の最後、自分の原点、始まりであるこの歌をバンドではなく只一人で唄う。歌が終わって、一瞬の静寂の後の拍手。彼の旅はまた新たに始まったのだ。


残り火には水がうたれ 何もかもが終わったのに
まだ物欲しそうな顔で 何かを待ってる俺

夕焼けはすっかり西に 夜明けにはまだ少し
踊らされた魂に しばらくのやすらぎを

終電車に乗って帰れよ 待つ奴も無い部屋へ
それは確かにブルーズ だがまだ何かがあるようだ

バベルの塔の様に がらがらがらがら足下から崩れていく
だが俺は余分な力抜いて 横になるのがいいだろう

ひとりぼっちの二人って言うのは ディランの歌だけど
選ぶ事が捨てる事でないように するにはどうすればよい

舞台で歌を忘れた男に 助けをやるのはよしな
ピエロが仮面を落とした時は 素顔で笑って貰え

俺はちっぽけな男で結構 裏切り者と呼ぶが良い
ピエロの出番は終わったのだ 全てよ歌い手となれ

いつか心が霜に 身体が塵に変わるまで
世のあらゆるものと共に この命まっとうしたいけれど


「行方不知」 収録アルバム

1.さあ、もういっぺん (VP*S006)
2.満月ー勇造ライブ in 出縄 (LMCD-1156)
3.振り返るには早すぎる(HUMM05-07)



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